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2015年4月9日

光明寺・・・中井権次一統の足跡を巡って・・京都府綾部市睦寄町君尾!

光明寺の備忘録は2部構成・・・前回は、京都府北部雄一の国宝建造物、二王門を拝見いたしました・・・
今回の備忘録は・・・中井権次一統の世界です・・・
本堂へ参りましょう・・

この石段を上がれば、そこが本堂・・・・
真言宗醍醐寺派に属する古刹で、君尾山光明寺と称する。

寺伝によると、推古天皇七年(599年)聖徳太子によって建立され、後に役小角がこの地で修行し、 延㐂年中に至って聖宝理源大師が真言の道場として再興、坊舎七十二坊にも及ぶ大寺院であったが、大永七年(1527年)の兵火によって、二王門を除く全山 が焼失した。
天文二年(1533年)上羽丹波守が大施主となって再建したが、天正年間の戦乱で再び焼失した。

本堂は天保七年(1836年)に再建され、本 尊は千手観世音菩薩をまつる。・・・説明板より引用
古い、痛みがある石段を上がりながらみえてきた、本堂・・・
いや、驚きです!・・・自然と、おおおぉ・・・と、声が出ます!
京都府指定文化財、江戸時代後期(1836年)再建とある・・・
圧巻である・・・
正面真ん中、堂々と龍が、守っています・・

写真の左:本堂正面懸吊、鰐口・・・京都府指定文化財
・・・室町時代の応永17年(1410年)に若洲(若狭)上釜屋の作。面径41cm、肩厚11.5cm・・・
写真右側の和歌?が刻まれている額には、明和七寅・・(1770年)とある・・・

本堂・・右側から・・・
破風の妻虹梁上の鳳凰も見事です・・懸魚の左鰭?がない・・欠落か?

なぜ、このようなことをするのか?・・このような不届き者がいるのか? 我が目を疑う・・天罰を与えよ!
・・傷つけた者の自宅が、車が、同じ目に遭ったら、その者は、怒るやろ・・・考えよ!
それにしても、無残で、残念である・・(-_-)

宝篋印塔・・・本堂と地蔵堂の間に建っています・・・

綾部市指定文化財

無銘であるが、細部にわたって丁寧に仕上げられた南北朝時代の優品である

・・・説明板より引用
左から、本堂 中:地蔵堂 右:鐘楼 梵鐘は慶長九年(1604年)

中井権次一統の彫り物・・・
これから下の写真は小サイズです・・・クリックいただければ大サイズになりますm(_ _)m

正面の虹梁の龍を挟んで両側
正面龍の裏面・・氷上郡柏原住人 彫物師 中井権次橘正貞 同、清次良正用・・と、刻まれている

向排を左右から・・・手狭・・鯉、鳥・・


本堂、石段の坂上にある、石灯籠・・竹にて倒壊を防いでいます・・元和三・・と、読める、1617年・・いい形ですね・・・
写真右下:本堂横の説明が流れるインターフォンみたいな機械・・・押してみましたが、何も聞こえず・・動作しなかったよ・・・残念!
     

さぁ、光明寺に別れ告げ、次なる目的地に・・・
山を降りるとき、あの林道で、慎重に・・・おおぉ、対向車に遭遇・・・郵便局の配達の車・・
登ってくる、軽四のエンジン音に気が付き、徐行・・クラクション鳴らし・・うまく、すれ違いましたが・・・なんで??・・今時なんや・・と、思いましたけど!

下山して、あの農道?を進みます・・・・次回は違う道で伺います・・(*^_^*)
2014年11月から念願でした、光明寺、国宝、二王門・・
そして、中井権次の足跡と知った今年、雪解けを待っての参拝・・
本堂、二王門を拝見できて・・・ホント、良かったです・・・

いや、思い描いておれば、念願はかなう・・いや、素晴らしいものでした・・・



追記:2015年4月9日 訪問




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