ページ

2018年2月17日

二村神社・・篠山市神社巡り・・兵庫県篠山市見内1-3

篠山市の神社を巡ります
2018年1月30日・・・大沢八幡神社を参拝いたしました
http://a-shi-a-to.blogspot.jp/2018/01/70.html
そこには・・・
~延喜式神名帳にある二村神社(身内村東山下)は、室町時代の文明年間までは、酒井、味間、宮田の三庄 の「産神」であり、大沢庄もこの中に含まれていた。
文明十四年九月九日(1492)二村神社の神事の日、氏子座席の上下を巡って争が起こり、結果、氏子 がそれぞれ祭器等を持ち帰った。
御神体を真南条が、神輿を味間村が、獅子と六点の祭器を板井村が持ち帰り社を建てて祀ったが、この時、大沢村も鎮護神「正八満宮」を奉迎し、社を建て氏神としたのが 大沢八幡神社の由来とされている~と、由緒がありました

では、そのもめ事の舞台の「二村神社」へと、行ってみました

社頭の案内板・・・二村神社

大昔、伊弉諾尊が天下る時、先ず剣を先に落とし、「この剣が倒れていればコケッコと鳴け、若し剣が刺さってたっておれば 鳴くな」と命じて鶏を次に降ろされました
鶏は剣が倒れているのを見て「コケッコ-」と大声で鳴いて知らせたので 「この土地は堅く、神の住める土地である」と、伊弉冉尊を伴ってこの地に降りられ、神内村と名付けられました
往古は「神内」、文明14年以降は「御内」、慶安4年以降は「見内」と呼ばれました
二村神社は、天平勝宝2年に正一位、鳥居の額は小野道風と伝えられています
文明14年の祭事の時に氏子の中で騒動 が起こり、祭具が保ち分かれになり、他の村に二村神社が分かれたと伝えられています・・・古市地区まちづくり協議会


鳥居、狛犬は、新しくなっていますね・・・
神橋を渡って、本殿へ・・・
主祭神 : 二村大神
延宝六年(1678)、社殿復興す‥明治5年(1872)、本殿再建




文?明十四年(1482)とも読めるが・・・明は分かるが、文がいまいち、わからないのです
なぞってみたら、「文」‥由緒にも文明とあるため‥そうなれば、室町時代ですね
この刻銘判読は、楽しいです・・・おおぉ‥っと、一人感心しています
左右が塀で護られています
社務所
国道176号線を篠山市中心部から三田、神戸へとむかうと、JR交差するあたりに「二村神社」の案内板があります・・・
いつも、いつかは、と思いながら、反対車線ですから、ついつい・・・
しかし、延喜式神名帳にある二村神社(身内村東山下)は、室町時代の文明年間までは、酒井、味間、宮田の三庄 の「産神」であったのです

いやいや、各地の神社を巡ると、関係が分かることは、興味深いです・・・(*^_^*)






0 件のコメント:

コメントを投稿